世界一周JKまなみのブログ

世界一周の旅に出た女子高校生が書くリアルな日記

アルメニアとトルコの確執

 

今はアルメニアの首都エレバンにいる。

 

 

 

 

アルメニア

黒海カスピ海に挟まれた

コーカサス地方の南部に位置する国だ。

 

 

アルメニア自体は海には面していなくて、

大きさは中国地方程度。

 

 

 

 

 

 

 

2週間ほど前

トルコにいたとき私は

 

 

これから

ジョージアアルメニアアゼルバイジャン

 

 

コーカサス地方三国に行こうと思い、

色々調べ物をしていた。

 

 

 

 

そして、この周辺は

国同士の関係が複雑である

ということがわかった。

 

 

 

 

簡単に言うと

 

アルメニアアゼルバイジャン

アルメニアとトルコ

 

は関係が良好ではない。

 

 

 

 

 

 

そして、

トルコからの移動ルートを考えていたとき

 

トルコ=アルメニア間の国境は開かれていない

 

という情報が出てきた。

 

 

 

 詳しく調べていくと、

トルコ=アルメニアは国交が断絶していた時期があるということが分かった。

 

 

2009年に回復はしているのだが

今も良い関係とは言えないだろう。

 

 

 

 

 

 

では、なぜ二国間の国交は断絶していたのか。

 

 

 

 

 

 

その大きな原因であるのが

アルメニア人虐殺」だ。

 

 

 

 

私はこれを詳しく知るべく

エレバンの虐殺記念館に向かうことにした。

 

 

 

 

 

この出来事は、

19世紀末と20世紀初頭の二度にわたって起きたのだが、

 

一般的に「アルメニア人虐殺」というと

第一次世界大戦中の方を指すようだ。

 

 

 

 

 

完璧ではないが大まかな流れは以下。

 

 

 

当時オスマン帝国(後継国トルコ)は

ドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国率いる

同盟国側だった。

 

対する連合国側は

フランス・イギリス・ロシア帝国

 

 

 

元々アルメニア人は

オスマン帝国ロシア帝国の両国に

分割されて暮らしていた。

 

 

 

そんな中、オスマン帝国

自国の領土にいるアルメニア人が

列強ロシアに外圧を要請することを懸念した。

 

 

 

また1914年10月時点で

敵軍であるロシア軍には

18万人のアルメニア人兵と

8000人のアルメニア人志願兵がいたという。

 

 

 

 

開戦後間もなくして

アルメニア人の役人の解雇や

兵士の配置替えも行われた。

 

 

 

そしてついに、

 

1915年4月24日

 

当時のオスマン帝国

首都コンスタンティノープル

(現イスタンブール)において

 

200人以上のアルメニア人知識層を率いていた

リーダーである詩人ダニエル・ヴァルジャンが

強制連行される。

 

 

 

その後約250人もの

政治家や画家、詩人、作家などの優秀な知識人たちが捕らえられ、国外追放や殺害されてしまう。

 

 

 

これを機に

大量のアルメニア人の逮捕、追放、殺戮が本格的に始まった。

 

 

そのため、

4月24日は「ジェノサイド記念日」とされ

追悼の日になっている。

 

 

 

そして、オスマン帝国内の丈夫な男性たちの多くが殺害された後

 

同年8月

女性や子供、お年寄り、病弱な人たちといった何十万人ものアルメニア人が

国外追放によりシリア砂漠に強制移住をさせられる。

 

移住と言っても、

勿論自力で歩いて向かうことを強いられるわけだが、

 

砂漠に向かう死の行進の途中で

飢えや渇きによって亡くなったり、

 

日常的に行われていた

拷問や大量射殺、焼殺、毒殺によって

何人ものアルメニア人が殺害されてしまう。

 

 

砂漠に辿り着いた人々も

その後強制収容所へ送られて殺されたという。

 

 

 

 

 

 

記念館の中には、

当時の残虐な行為の資料なども残っていた。

 

 

 

 

 

しかし、これはあくまでも

アルメニア側の見解」

という必要がある。

 

 

 

 

と言うのも、

トルコ側はこの事実を虐殺として認めてはいなく、戦争による不慮の事故や病気によって亡くなったと主張している。

 

 

 

だからこそ、私はこの場所を訪れた。

 

 

 

 

犠牲者の人数にも、両者の間でかなりの差が出ていて

 

アルメニア側は150万人

トルコ側は20万人

 

と言っている。

 

 

 

 

しかし数がどうと言うよりは、

沢山のアルメニア人が犠牲になっているという事実は変わりない。

 

 

f:id:sekaijkmanami:20200208180125j:image

(記念館の敷地にあるモニュメント)

 

 

事実を知り、この場で追悼することが

私にできることだ。

 

 

 

 

 

このような出来事の他にも、トルコが、

アルメニアと関係の悪いアゼルバイジャン側の立ち位置であるといった背景もあって、

アルメニア=トルコ間の確執は根深い。

 

 

 

 

 

 

 

今回、私は

たまたまトルコからの陸路移動を考えていたために、この出来事について知ることができた。

 

 

 

今の時代

アルメニア 虐殺 」

とネットで調べてしまえば、大体のことは申し分なくわかるだろう。

 

 

 

しかし、自分足でその場を訪れ

現地の人々が何を思い、どう考えているのかとともに事実を知ることは

文字だけで情報を手に入れるよりも

はるかに重要なことであるし、

その分考えさせられることも多いと思う。

 

 

 

 

 

長くなりましたが

今回のアルメニアでの最大の目的であった

場所で学んだことです。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

良かったら押してください。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

インドを振り返る

 

16日前、

軽く沈没していた

居心地の良いタイに

後ろ髪を引かれながら

 

コルカタ行きの飛行機に乗った。

 

 

 

 

 

夜着

 

周りの人の顔が今までと違う。

 

 

 

 

「インドは最初の山場だ。」

と言われて、

 

不安を抱えながら

コルカタの地に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

空港にはWiFiがなかった。

換金所ももう閉まっていた。

 

 

 

その日は空港のベンチで

夜を明かした。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、プリペイドタクシーで宿に向かう。

 

スクリーンショットで残しておいた

住所だけが頼りだった。

 

 

 

 

タクシーに乗ると

「空港料金だ。」と

追加で1500円ほど請求された。

 

 

 

 

 

 

「インド人はみんな詐欺師だと思え。」

と言われていたから

何を信用していいのか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

宿に向かう途中、

警察官に車を止められ

運転手が外へ連れ出された。

 

 

 

 

何やら揉めている。

 

 

 

 

ただでさえ不安な気持ちで

インドに来たのに

初っ端からやめてくれよ、と思った。

 

 

 

 

 

よく分からないが解決したらしい。

 

 

再びクルマが動き出す。

 

 

 

 

 

私はSIMなしのスマホを握りしめて、

読み込むはずのないマップを開きながら

ひたすら窓の外を眺めた。

 

 

 

 

 

 

ボロボロの建物、

 

乱雑に投げ捨てられたゴミ、

 

体中が汚れた犬、

 

毛布に包まって物を乞う人、

 

 

 

ラクションはひっきりなしに鳴っている。

 

 

 

 

 

本当に、異国の地に来たという感覚だった。

 

 

 

 

 

 

翌日、宿のオーナーが

街を案内してくれた。

 

 

 

土地勘がある人がいると心強くて、

周囲を見渡しながら歩くことができた。

 

 

 

 

そうすると、

 

 

チャイを売るおじさんや

 

一点を見つめて動かない牛

 

ドアのついてない古びたバス

 

イギリスの植民地時代がうかがえる建物

 

 

目に入ってくるものが

全て興味深く感じた。

 

 

 

 

 

 

前日、自分たちだけで街を歩いたときは

 

警戒心が強すぎて

周りが見えていなかった

ということに気がついた。

 

 

 

 

 

 

 

その後も、

 

マザーハウスでのボランティア

 

シク教ジャイナ教の寺院

 

大きなイベントの前祭

 

野菜や果物の市場

 

色々なところに行って

色々なものを見て

 

沢山の人と出会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

コルカタは生活感が溢れる街だった。

 

 

すれ違う人の表情を見ていると

生きている、という感じがした。

 

 

 

 

 

 

最初から、

かなりマイナスに想像していたせいで

余計にギャップを感じ不安が薄くなった。

 

 

 

 

 

コルカタはたった2日の滞在だったけど

インドに対するイメージをかなり変えてくれた場所だ。

 

 

 

 

 

 

そして、その夜私は

夜行列車に乗って

次の都市ブッダガヤに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございます!

 

ブログランキングに参加しています。

ぜひ押してください!

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

 

 

 

YouTubeコルカタ編が公開されました!

ぜひ一緒にインドを感じてください。


【ひなまな#026】〔ミャンマー&インド コルカタ編〕「インドを好きになるか?嫌いになるか?」

首をかしげるインド人

 

インドに来て2週間が経つ。

 

 

 

お腹はまだ壊していないが

風邪をひいて、少し寝込んでいた。

 

 

 

 

 

 

そういえば、インドに来たばかりのとき

何度か誤解していたことがあった。

 

 

 

 

 

 

それは、

インド人のボディーランゲージについて。

 

 

 

 

 

 

日本人は「Yes」の意思を相手に伝えるとき

当たり前に首を縦に振る。

 

 

 

 

 

しかし、インド人は

「Yes」のときに

首をかしげるのだ。

 

 

それも困ったようにではなく

基本的に真顔で。

 

 

 

 

 

これは知らなかったら意外と困惑する。

 

 

 

 

 

 

例えば、実際にこんなことがあった。

 

 

 

夕方、教会の前で

門全体は閉まっていて、

人が通る用のドアだけが開いていた。

 

入れるかどうかを

門の前にいた管理人(?)の方に尋ねたときのこと。

 

 

 

私「Can I go inside?」

 

 

管理人「〜〜〜〜〜(ヒンディー語)」

 

 

私「Close?」 

 

 

管理人「〜〜〜〜〜〜」 

 

 

 

私「Can I enter now ? 」

 

 

 

管理人(首をかしげた後、門を開ける)

 

 

私 「OK?」

 

 

管 (首をかしげる

 

 

 

 

OK? のあとが何度も繰り返された。

 

 

 

結局、入っていいのか分からなかったので

渋々その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

改めて振り返ると

門を開けてくれたのは

 

入っていいよ、

 

ということだったのかもしれないが

 

 

 

 

 

丁度そのとき、敷地内に車があったので

それを出すためかな、と

 

色々考えた結果

かなりモヤモヤしたままだった。

 

 

 

 

 

 

似たようにすっきりしないやりとりが

他にも2、3回あった後、

ふと、どこかのサイトの文を思い出した。

 

 

 

 

《インド人は「Yes」のときに首を傾げる 》

 

 

 

 

なるほど。これか。と

合点がいった。

 

 

 

 

 

これは、

個人的にかなり分かりづらいと感じた。

 

 

 

 

 

人によっては

「Yes」と口にしながら傾げたり

 

そもそも傾げない人もいるのかもしれない。

 

 

 

でも、私の感覚的には

 

何となくみんな

 

目を閉じて首を傾げるので

 

不満そうに見える仕草だな、と思う。

 

 

 

 

 

しかし、この事実を知ってからは

 

インド人と話して首を傾げられたときには

 

「あ、この人納得してるんだ。」

 

と分かるようになって、何だか嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

ボディーランゲージも

正反対とまではいかなくても

 

国によっては違いがあり、

解釈もかなり変わってくる

 

ということを実感させられた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

他の国でも、

 

ジェスチャーが大きく違って

何気なく使ってしまったものが

 

相手を侮辱するものになってしまったり、

 

こちらの認識とは全く違う意味で

受け取られてしまったりすることもあるらしい。

 

 

 

 

 

些細なことかもしれないけど

国によっての違い、人によっての違いに

気付いて考えてみたとき

なかなか面白い発見があるなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

方向性は違うが

ここ数日でとても気になったのは

 

 

 

 

「インド人唾吐きすぎ問題」

 

 

 

 

インドに来て、

道端で唾を盛大に吐いている人が

かなり目につく。

 

 

 

 

 

たんがよく絡まるのか、

虫がしょっちゅう口に入ってくるのか、

 

と思っていたが

 

たまに、赤い唾を吐くインド人もいる。

 

 

 

 

 

あれは噛みタバコというものらしい。

 

 

タバコに噛む種類のものがある

というのは知らなかったが

 

 

タバコじゃなくても

めちゃくちゃに唾を吐いてる人も多いと思う。

 

 

 

何にしろ、道端に唾を吐くのは

あまり気持ちの良いものではないので

 

個人的には、せめて

もう少し控えめにやって欲しいと思うところではある。

 

 

 

インド人的に、NGではないのか

というのも気になるところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございます!

 

世界一周ブログランキングに参加しているので

クリックしていただけると嬉しいです!

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

18歳の先生

 

数日前、ブッダガヤで

ダリッド(インドのカースト制度の一番下の層)

の子どもたちのために建てられた学校を

見学させていただいた。

 

 

 

 

 

 

 

そこには、

幼稚園くらいの子から

最年長は小学4.5年生くらいと思われる子が

そのときだけで50人以上居た。

 

 

 

 

 

 

 

建設を始めてまだ半年らしく

教室はふたつ。

 

 

 

 

 

 


だから、ひとつの教室は

半分が幼稚園の子

半分が小学校低学年の子

と、クラスを分けられていなかった。

 

 

 

 

 

 


先生は3人しかいなかった。

 

 

 

 


22歳と19歳の女性の先生。

 

 

 


そして18歳の男性の先生。

 

 

 

 

 

 

3人の年齢を聞いたときは
かなり驚いた。

 

 

 

 

 

 

 


18歳の先生に至っては、私と同級生。

私からすれば、まだ教えてもらう立場の歳。

 

 

 

 

 

 

 


確かに、高校生程になれば

小学生に勉強を教えるというのは
できることではあるだろう。

 

 

 

 

 

 

しかし、彼は先生だった。

 

 

 

 

 

 

子どもたちに勉強を教えるお兄さん

ではなく、

先生 だった。

 

 

 

 

 

 

 


彼が、生徒を前に話す姿は

とても同じ年の男の子には見えなかった。

 

 

 

 

 


それは

見た目が大人びているから、とか
教える技術が凄いから、とか


そういう意味ではない。

 

 

私は、彼の背中に「責任」を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

私にある責任は、

まだあくまで自分の範囲内のもの。


それは、私の世界からすれば

ごく普通のことに感じている。

 

 

 

 

 

 


しかし、彼は

他人の範囲までの責任を持っている。

 

 


大げさに言えば

子どもの将来を動かす立場として。

仕事として。

 

 

 

 

 

 

仕事といえば、社会に出ると

15歳やそこらで働き始めた人だっていると思うが、

それはまた

先生という立場とは違うものであるし、

 

 


私が実際に彼に会って、

同級生だということを知った上で

彼の教える姿を見たから

こうも強く感じるものがあったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


自分と同じ年を重ねてきたはずの彼は

とても強く、逞しく見えた。

 

 

 

 


子どもたちの前に立つ姿は

とても生き生きしているし

勿論、教えることを

楽しんでいるのだろうなとは思う。

 

 

 

 

 

 

だけど、

彼自身も勉強中であるし

まだ大人に頼りたいことも沢山あるだろう。

 

悩んだり、苦労したりしながら

毎日、自分より小さい子たちと

笑顔で接しているのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

実際彼が、

どこまで考えているのかは分からないが

私にはそう感じた。

 

 

 

 

 

 


そして、

同級生の目線から彼を見て

とても尊敬した。

 

活力をもらった。

 

 

 

 

 

 


同じ歳でも、あれだけ立派に

自分の立ち場を精一杯やっている人がいる。

 

私も頑張ろう、と思わせてくれた。

 

 

 

 

 

 

最後の日、彼から手紙をもらった。

 

 

 

「あなたに会えて良かったです。


   来てくれてありがとう。

 

 


   あなたの貴重な時間を


   私たちの学校で、私たちと一緒に


   過ごしてくれてありがとう。

 

 

   またいつか戻ってきてください。

 

 

   心はいつも一緒に居ます。

 


   本当にありがとう。

 


   良い旅を。」

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、
彼に会って感じたこと、思ったことを
残こしておこうと書き出してみたが

 

上手く言葉にできなくて、まとまりのない文章になってしまった。

 

こういうことを、
もっと自分の言葉ではっきり記せるようになりたい。

 

 

 

 

 

 

だけど、彼が私にくれた思いは

心の中にはしっかり記録してある。

 

 

 

 


いつかまた、あの学校へ

みんなに会いに行こうと思う。

 

そのときは私ももう少し成長していたい。

 

 

 

 

 

読んでくださってありがとうございます。

もし良かったら押してください。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

牛糞ケーキ

 

 

ヒンドゥー教では、牛は神聖なもの。

よって牛を食べることは禁忌である。

 

 

 

というのは甚だ有名なことだ。

 

 

 

 

 

 

じゃあ牛から採れる乳は、というと

 

 

飲む。

 

 

インドと言えば定番の

チャイがあるくらいなので。

 

 

 

 

何で飲んでいいかっていうと、

手に入れる為に牛を傷つけていないから。

 

 

 

 

 

じゃあ牛の糞は、とういうと

 

 

食べ

 

 

 

ません。

 

 

 

 

 

だが、牛の糞にはとても有用な使い道がある。

 

 

 

真っ先に思い浮かぶのは

「堆肥」だろう。

 

しかし、それだけではない。

 

 

 

 

 

インドでは、牛の糞を燃料としても使うのだ。

 

例えば、料理をするときに燃やしたり。

 

 

 

 

 

 

ただ、そのままでは水分が多いため

成形して乾燥させる。

 

f:id:sekaijkmanami:20200112235449j:image

 

こんな感じで。

 

 

これは、屋上で並べて乾燥させてあった様子だが、

実際によく見かけるのは

 

 

家の壁一面や、

木の幹に貼り付けてある光景だ。

 

 

 

 

 

最初に見たときは、壁の模様かな?

と思ってしまうくらい隙間なくびっしり貼り付けてあったので、

正体が糞だと聞いたときはかなり驚いた。

 

 

 

 

 

 

こうして牛の糞を乾燥させて燃料になったものを

 

「牛糞ケーキ」

 

と言うらしい。

 

 

 

 

この牛糞ケーキを作るのは女性の仕事なのだと。

 

昨日、車の窓から

おばさまが家の壁に牛糞を投げつけているシーンを目にした。

 

 

 

 

 

 

今いるブッダガヤというところは田舎で、

見かける牛のほとんどは飼い牛だ。

 

 

田舎の方は燃料も手に入りづらいから

牛糞はかなり重要な役目を果たしているのだろうと思う。

 

しかも、牛糞は燃やした後も自然に還るから

環境への負担も少ない。

 

 

だけど、薪より発熱量は少ないみたいだし、

あの量の糞を成形して貼り付けて乾燥させる

という工程には、結構な時間がかかるだろうから

大変だとは思う。

 

 

 

 

何だか自然の生き方を感じさせられる学びだった。

 

 

 

 

 

しかし、

何故「牛糞ケーキ」と名付けたのかには

いささか疑問が残る。

 

 

 

 

 

追記:

「ケーキ(cake)」って言葉には

「平たく固めたもの」という意味もあることが分かった。

 

 

そりゃあ食べる方じゃないよね。納得。

 

 

 

 

 

 

世界一周ブログランキングに参加しています。

もし良かったら押してください!

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

 

 

 

YouTubeもぜひ見てください!

最新動画はタイ・チェンマイ編です🇹🇭


【ひなまな#023】〔タイ王国 チェンマイ・パーイ編〕「やばい…沈没しそう。」

 

 

 

シク教寺院で無料のごはん

 

 

2020/01/10 

インド・コルカタ

 

 

 

 

初めてのインドはかなり不安が大きかったので、

コルカタでは日本人宿「サンタナ」に泊まることにした。

 

 

 

コルカタは、2泊の滞在で

ゆっくり観光はできなかったが

 

 

宿のオーナーのトシさんが、

時間がない私たちのために

ぎゅっと詰めたディープなコルカタの案内をしてくださった。

 

 

 

その中のひとつが

 

 

 

シク教の寺院で無料のごはんを食べよう。」

 

 

 

何だか言葉だけ聞くと

観光客がズカズカいって良いものなのかと考えてしまう。

 

 

 

 

 

そもそもシク教とはどんなものか。

 

 

 

 

まず、インド人を思い浮かべる。

 

 

多くの人は、

頭にターバンを巻いて、髭をはやした男性

をイメージするのではないだろうか。

 

 

f:id:sekaijkmanami:20200112022555j:image

 

こんな感じの

 

(写真を撮ってなかったので陽気なフリー素材しかありませんでした。)

 

 

違う人はすみません。

 

 

 

 

だけど、実際

インド人がみんなターバンを巻いてるわけではない。

 

 

 

このターバンが特徴的な人たちこそが

シク教徒。

 

 

そして、このシク教徒というのは

インド人の2%足らずしかいないのだ。

 

 

 

私が、ターバンを巻いたインド人を

あまり見かけなかったのにも頷ける。

 

 

 

 

 

これはまあ見た目の話で、

中身の話をすると

 

 

ざっくり聞いた話では

 

 

シク教は、

ヒンドゥー教から派生した

イスラム教の部分取り宗教みたいな感じで

 

ヒンドゥー教と露骨に違うのは

カーストの否定。

 

 

といったところ。

 

 

 

 

カーストを否定するということは

つまり、みんな平等ということ。

 

 

老いも若きも、

 

男も女も、

 

クリスチャンも、ブッディストも関係なく

 

 

肩を並べて食事しようぜ。

 

 

 

 

そういう感じで

無料のごはんの話に繋がってくるわけだ。

 

 

 

 

シク教寺院では参拝者に

無償で食事を提供している。

 

 

 

 

私たちが行った寺院はここ。

 

f:id:sekaijkmanami:20200112015124j:image

 

調べても名前が分からなかったけど

 

ガンディーロードにある

汚れた建物の奥に、

急に綺麗な白が見えるところ。

 

 

 

 

中に入ると、まず靴を脱ぐ。

 

そして

シク教寺院では髪の毛を布で隠す必要があるので頭に布を巻く。

(ここでは参拝者用のものが置いてあった)

 

 

 

 

真ん中で挨拶をして

 

f:id:sekaijkmanami:20200112024613j:image

 

 

上の階に向かうと、

参拝者の方々が並んで座っていた。

 

f:id:sekaijkmanami:20200112013400j:image

 

ここで私たちもプレートを持って一緒に座った。

 

 

 

待っていると、

配膳の人がカレーやチャパティ

つぎにきてくれる。

 

 

 

ここでの食事は、ベジタリアンに合わせて

肉は含まれていない。

 

 

 

味は美味しかったが、

カレーは結構辛かった。

 

しかし、食べ残しは厳禁なので

しっかり完食。

 

 

 

 

食べ切る自信がない人は

つがれる前に「トラトラ(少し)」と言えば

少なめについでくれる。

 

 

 

 

 

 

そして、気になったのは

この無償の食事の資金はどこからきているのかということ。

 

 

 

 

聞いてみたところ、全てが寄付金だという。

 

 

 

 

シク教徒は富裕層が多く、

その人たちの寄付金が大きな資金源ともなっているらしい。

 

 

 

 

また、食事を作る人も配る人も

みんなボランティアなのだと。

 

 

 

 

 

こうして人の心で成り立つのは

宗教の凄いところだなと思う。

 

 

 

 

 

シク教

倫理のヒンドゥー教の単元で少し出てきたが

名前だけ覚えているという程度だった。

 

 

カースト制の否定や、

イスラム規律の含有といった

大事なところは身についていなかったので

こうした形で学び直せて良かったと思う。

 

 

 

 

こんな風にして知ることで、

記憶に残りやすいというのが

実際にその場所を訪れることにある価値だと思う。

 

 

 

 

インドは宗教面でも、かなり興味深いので

まだまだ学べることがありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

世界一周ブログランキングに参加しています。

もし良かったら押してください!

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村